「降る雪や 明治は遠く なりにけり」 中村草田男
1901(明治34年)に生まれ、青南小学校(南青山)で明治の精神を育んだ中村が1931(昭和6年)に詠んだ一句。
西南の役、日露戦争を経て明治の精神を支えた武士道の時代が終焉。
新たに「大正デモクラシー」の時代に移行する端緒となったのが、鉄道の延伸とともに開発された、鵠沼、那須そして我孫子の別荘エリアです。
我孫子市にあっては、嘉納治五郎氏が1912年に我孫子市緑に移り棲み、以降甥の
柳宗悦、そして志賀直哉、武者小路実篤など白樺派の文化人が移住されたのがはじまりとするところであります。
当時の我孫子の風景は様々な文学作品の中に息づいておりますが、今もなおその豊穣な自然の一端をたたえています。
「手賀沼と 椿を愛でし 楚人冠 記者魂と 我孫子愛深し」
「瑞垣や 椿たわわに 花を垂れ」 杉村楚人冠
