教授陣 構造 松井源吾 竹内盛男 設備 井上宇市 意匠 吉阪隆正 穂積信夫 安東勝男
大学に入って2年間は教養科目の履修に追われ、当時は東大の進振り制度もわからぬまま、建築学科なのに建築がないではないか!とブチブチ言いながらも化学実験や第二外国語の単位を低空飛行でクリアした事を懐かしく思い出します。(3時間くらいだったか建築学的な時間もあるにはあった)ただ、ひたすらデッサンとか課題工作とか課題を出されてその講評にに充てられていたが
1.手を動かす事の大切さ 2.表現するにあたっての論理の組み立て方や表現力 などを鍛えられていたのかなぁ と感謝している。
2年の後半から本格的に意匠設計の課題が出されて 個人住宅→美術館→小学校→オフィスビル→劇場と 課題が出されて、ほぼ1週間構想→2週間製図や模型制作→1週間講評会に対する意見交換というより 爆発!大爆発か😅
夏季休暇や冬季休暇は国内外の建物の視察などなど というのが正しい?建築学科の生活ではありました!
キャンパスが本部から離れている事もあり、外部交流は学習院女子の学食潜入や体育の単位とりの合宿くらいしかなく、さらには女子が同学年に2/180人しかおらず(一年下には なんと15/180 しかも魅力的な女子ばかり😅)トホホでありました。
その2人に勝手に渾名をつけたのが我が大学時代最高の成果だったかもしれません。それが 「赤いきつね と 緑のたぬき」であります。😅 なかなかヒットして彼女達にも受入れられたので😅
また、体育の単位とり合宿で、江川紹子さんと話をしましたが、後年の活躍など知る由もなく、自ら「世間知らずなもので」と遜っており、そのためにマスコミ志望と言っておりました。今にして思えば、我らよりよっぽど大人でしたなぁ!残念ながら男女の話には発展せずでしたが、もし発展しておるような事があれば麻原彰晃の三女を養子に迎えなければならなかったかもしれません😅




